2026年8月の本
「破壊系資本主義 民主主義から脱出するリバタリアンたち」みすず書房 クィン・スロボディアン著 松島聖子訳

近年、米国のみならず世界各国で、富の分布格差が拡大している。富める者はますます豊かになり、貧しい者はますます貧しくなる。本著でテーマとなっているのは、リバタリアン(自由至上主義)的考え方だ。リバタリアンは、国家の役割は市場の保護であり、土地の所有、資源管理、企業の監督、医療・住宅・公益事業・インフラなどのサービスの提供ではないと考える。この発想に至る人は、資本主義の恩恵を余すところなく受け、富を集約してきた人たちだ。こうした「理想郷」を構築するには、「ゾーン」という特別区画を作って、その中だけ治外法権とするか、単一民族がまとまる方法が効率的なようだ。
本書ではそうしたリバタリアリズムの実験場所として、古くは香港やシンガポール、最近のドバイやホンジュラスを例として挙げながら、その取り組みを紹介している。
折しも2026年8月26日付日経新聞の記事で、リバタリアンの代表格と言えるピーター・ティールが、アルゼンチンでさらなる実験を進めている様子が紹介されていた。財政支出の削減や外国資本の誘致などを柱に国内成長を加速させたいミレイ政権とイデオロギー的に合致していると書かれている。だが、実際のアルゼンチン国民の暮らしは厳しい。改善しているとはいえ、アルゼンチンのCPIは30%、失業率は7%台である。過去何度も債務不履行とリストラを繰り返しているアルゼンチンに「国家」としての余力はない。だったら国家なんていらないんじゃない?という発想なのかもしれないが、実際にそこには人が生活し、文化が受け継がれ、次世代の子どもが生まれている。ついてこれない人は辞めればいい「企業」を運営してきた資本主義の申し子には、その点がなかなか理解できないのかもしれない。
たしかに、一部の巨大資本を持つ企業、イデオロギーや文化的背景が同じ人が集結したゾーンは「彼ら」にとって居心地がよい理想郷なのかもしれない。だが、そうした企業や人は消費者として他の民衆を「活用」してその富を得ているのではないだろうか。だとすれば、そうした「他」が拠り所としている民主主義を切り離した世界で、リバタリアンだけが今後も繁栄を続けていけるのかどうかは非常に疑問である。
世界はますます、一部の人だけが富と楽しい仕事、大多数の人は普通以下の暮らしとつまらない仕事、の2つに分かれていくように見える。AIが浸透すれば一層そうかもしれない。この先どうなるのかはわからないが、歴史を紐解くことが先を見る1つのアプローチかもしれない。歴史の俯瞰に加えて、もう少しその辺りの見通しも詳しく示してほしかったところが☆の理由。
★★★★☆


