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川辺に咲く桜

2026年5月の本

  • 6月5日
  • 読了時間: 4分

1.「マシンエイジ AI時代に人間らしく働くということ」ロバート・ステデルスキー著 村井章子訳 筑摩書房

筑摩書房

 

 経済歴史学者ステデルスキーによる、機械時代への警鐘を鳴らす一冊。

 AIが人間の仕事を奪うのか。それとも、人間を退屈で苦痛な労働から解放するのか。

 この問いは、いま急に浮上したものではない。スキデルスキーは、技術革新と労働をめぐる長い歴史をたどりながら、AI時代における「人間らしい働き方」とは何かを問い直している。

 本書が示す重要な視点のひとつは、技術革新は単独で進むものではない、ということだ。機械が導入されるかどうかは、技術そのものの優劣だけで決まるわけではない。奴隷という安価な労働力が潤沢に存在する社会では、わざわざコストをかけて省力化のための機械を導入する必要はなかった。逆に、ペストの大流行によって人口が激減し、労働力が希少になった中世末期のヨーロッパでは、土地から収穫を得るために労働者へ相応の報酬を払わざるを得なくなり、ヨーロッパの列強は海を渡り新大陸を目指した。つまり、技術革新は「発明されたから普及する」のではない。それを必要とする経済的・社会的条件が整ったときに、初めて大きな力を持つわけだ。

 もうひとつ興味深いのは、労働に対する人間の価値観である。旧約聖書の「額に汗してパンを食うべし」という言葉に象徴されるように、労働は罰としての側面を持つ。一方で、修道院では「祈れ、そして働け」という思想のもと、労働は道徳的意味を持つ営みでもあった。中世の修道院が技術や機械の重要な発明主体であったという指摘は、技術が単なる効率化の道具ではなく、宗教的・倫理的な文脈のなかでも発展してきたことを示している。大学時代にマックス・ウェーバーの「プロテスタンティズムとキリスト教の精神」を読んだ時の衝撃そのままだ。

 著者はハンナ・アーレントによる「労働」と「仕事」の区別を取り上げる。アーレントは、労働とは生命を維持するために必要な営みであり、仕事とは人間の外に、時間を超えて残る世界を作り出す行為という。経済学者が自動化によって軽減されると考えるのは、多くの場合、前者の「労働」である。だが、人間が恐れているのは、単に生活手段を失うことだけではない。自分が社会にとって役に立たない存在になることへの恐れでもある。

この恐れは、AI時代においていっそう深刻になる。

 新しいテクノロジーは、必ずしも人間を豊かにするとは限らない。過少雇用、平均賃金の伸び悩み、労働条件の悪化、不安定なギグワークの拡大、低技能労働の増加、長時間労働、世帯債務の膨張、職場の監視強化。自動化によって得られた利益が広く分配されず、一握りの人々に集中するならば、技術革新は人間を解放するどころか、むしろ従属を深める。

さらに深刻なのは、雇用構造そのものの変化である。中産階級が空洞化し、「てっぺんにいる人には楽しい仕事、それ以外の多くの人にはうんざりする仕事」という社会が生まれるとすれば、それは単なる経済問題にとどまらない。政治的な不安定さをもたらす。仕事は所得の源泉であるだけでなく、地位、スキル、有用性、アイデンティティの源泉でもあるからだ。

 AIをめぐる議論では、しばしば「機械がどこまで賢くなるか」が問われる。しかし、本当に問うべきなのは、機械が賢くなるのではなく、人間が愚かになることである。情報の非対称性が権力の源泉であるならば、AIを所有し、管理し、利用する側と、AIによって評価され、監視され、置き換えられる側との格差はますます広がる可能性がある。

 ほんの数年前、コンピューターサイエンスは人生を切り拓いてくれる魔法の杖のように見えた。だが、明るい未来を描いて必死に勉強した学生たちにいま、雇用機会はないという。まさしくアイデンティティの危機が到来している。対岸の火事ではなく、だれもが巻き込まれうるマシンエイジがやってきたのだと覚悟する必要があるのかもしれない。

 それにしても、実に難解な書籍であり、翻訳者の力量が問われる(私は絶対無理)。


★★★★☆

 
 
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