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川辺に咲く桜

決算説明資料に必要なのは、英訳ではなくトランスクリエーション

  • 5月1日
  • 読了時間: 5分

決算発表のシーズンが本格化する。

 

ところで、決算短信と同時にリリースになる決算説明資料を日本語から英語に翻訳すると、文字量はおおむね1.3〜1.6倍になる。

 

もちろん、資料の種類やレイアウトによって差はある。もともと文字の少ないスライドであれば、それほど大きな問題にはならない。一方で、日本語版の段階ですでに文字、グラフ、表、注記、脚注がぎっしり詰め込まれている資料では、英訳スライドは窮屈になる。

 

これは、翻訳者の文章が冗長だからではない。日本語と英語の構造が違うからである。

日本語は、「増収増益」「構造改革」「収益性改善」「資本効率向上」「事業ポートフォリオの最適化」といった表現を駆使して、短い字数の中にかなりの内容を盛り込める。また、主語を省略できるし、文脈でわかるものは、あえて書かないことも多い。


一方、英語ではそうはいかない。主語が必要になる。動詞が必要になる。冠詞や前置詞も入る。単語と単語の間にはスペースも入る。日本語では一語で済む表現が、英語では数語になることも珍しくない。

 

たとえば、

「収益性改善に向けた構造改革を推進」

という日本語は、スライド上では非常に短い。だが、英語にすれば、


We are implementing structural reforms aimed at improving profitability.

のようになる。意味としては何も足していない。それでも、見た目の占有面積はかなり増える。

 

問題は、これが決算説明資料や中期経営計画書で起きることである。

 

Word文書であれば、英訳によってページ数が増えても、まだ対応しやすい。ページが増えるだけだからである。しかし、スライド資料は違う。スライドには、もともと限られた面積しかない。その中に、タイトル、キーメッセージ、グラフ、表、注記、凡例、数値、脚注が配置されている。日本語版の時点で余白のない資料をそのまま英訳すると、英文は当然あふれる。


すると翻訳者はどうするか。たいてい、フォントを小さくして、行間を詰めて、グラフを縮小し、ただでさえフォント7の脚注をさらに小さくする。だが、それでは何のためのスライドなのか。

 

そもそもスライドは、文字を詰め込むためのものではない。図表を使うのは、文章だけでは伝わりにくい構造、比較、変化、因果関係を、一目で伝えるためである


ところが、英訳後の文字を無理に押し込むと、スライドは「視覚資料」ではなく、「小さい文字の詰め合わせ」になってしまう。日本語版ではそれなりに成立していた資料が、英語版では読みにくくなる。これは、翻訳の失敗というより、資料設計の失敗である。


特に海外投資家向けのIR資料では、この問題は深刻である。

 

海外投資家が知りたいのは、きれいな逐語訳ではない。この会社は何で稼いでいるのか。今期の増減益要因は何か。どこに成長機会があるのか。資本をどこに配分するのか。経営陣は何を課題と見ているのか。そうしたメッセージが、細かい英文の中に埋もれてしまえば、資料としての価値は大きく下がる。


こちらは京王電鉄の中期経営計画で、投資家の関心の高いキャッシュアロケーションのスライドだ。


 

これが英語になるとこうなる。


なんだかインパクトに欠けると思うのは私だけだろうか。そもそもグラフの中でXXX billion yenなどと書けばスペースをとって見にくくなるだけだろう。

 

必要なのは、日本語をそのまま英語に置き換えることではない。最初から投資家に伝わる英語かどうか、日本語にとらわれずトランスクリエーションとして英語作成を考えることである。

 

トランスクリエーションとは、原文の言葉を忠実に移し替えるのではなく、原文が本当に伝えようとしている内容を咀嚼し、読み手に届く形で、別の言語の表現として作り直すことである。決算説明資料や中期経営計画書の英訳では、とりわけこの発想が欠かせない。

 

日本語のスライドに書かれている文言を一つひとつ英語に置き換えれば、英文はどうしても膨らむ。しかも、膨らんだ英文を無理に同じスペースに押し込めば、読みにくくなる。だからこそ、日本語の表現をそのまま追いかけるのではなく、まず「このスライドで本当に伝えたいことは何か」を見極める必要がある。そのうえで、英語では最初から、短く、強く、投資家に刺さる表現に組み直す。

 

たとえば、日本語ではさきほどの「収益性改善に向けた構造改革を推進」は忠実に訳せば、

We are implementing structural reforms aimed at improving profitability.


もしこのスライドで本当に言いたいことが「構造改革によって利益率を引き上げる」ということであれば、見出しはむしろ、

Reshaping the business for higher margins


のようにした方が、短く、強く、紙面も取らないし、投資家に刺さる。

 

これは、原文を無視することではない。むしろ、原文の意図を正確に理解しているからこそできる処理である。単なる翻訳ではなく、IR資料の編集であり、英訳者はコミュニケーションコンサルタントとして「こうした方がいいですよ」とアドバイスするべきだと思う。

 

日本語の意図を理解し、会計数値を確認し、IR上のメッセージを見極めたうえで、英語版資料としてリライトする。決算説明資料の英訳は、文字の置き換えではない。経営メッセージを、海外投資家に届く形に組み直す作業なのである。

 

だがこれは「ソースクライアントと英訳者との間での意思疎通がなければできない作業だよな」と、老眼の翻訳者は今日も目をちらちらさせながら決算説明資料の英訳を読むのである。

 
 
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