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第1回 主語は後から訳す方が通りがいい?
私はだいたい朝9時から仕事を始めるのですが、その前に翻訳の勉強になりそうなことにいくつか取り組んでいます。時期によっていろいろと変わるのですが、目下その中の1つに「写経」があります。写経のやり方は、①ある原書と訳書を手に入れて、日本語をノートに丸写しする、②その訳文に対応する英文を「自分ならどういう訳にするか」と考えながら、訳文と照らし合わせて読む、③優れた表現、難しかった英文構造などをノートに書き加える、という手順です。毎朝20分くらいをこの作業に充てています。
この写経を通じて気がついたことが割と多いので、いくつかご紹介いたします。
あくまでも日頃翻訳をしている人間が、その勉強の中で気がついたことなので、言語的な根拠等に裏付けられたものではありませんが。
その一つが、主語を最後に訳出にするとかなり読みやすい日本語になることが多いということです。
例えば次の文章を見てみましょう。
Other borrowers, not just banks, can suffer from a crisis of confidence.
これを通常通り頭から訳すと
「銀行だけでなく、ほかの借り手も、信用の損失によって窮地に陥ることがある。」
となりますが、訳者の村井章子さんはこれを
「信頼の損失によって窮地に陥る借り手は、銀行だけではない。」
としていらっしゃいます。こちらの方が原文の意図をくみ取っているうえ、分かりやすいですよね。
また、
Governments can be subject to the same dynamics of fickle expectations that can be destabilize banks.
という原文も
「政府が、銀行を混乱に陥れるような移り気な予測の変化に翻弄されることがある。」
よりも
「銀行を混乱に陥れるような移り気な予測の変化には、政府も翻弄されることがある。」
原文出典:This time is different Carmen M. Reinhart & Kenneth S. Rogoff
訳文出典:国家は破綻する 日経BP社 村井章子 訳
なぜこちらの方が日本語としてスッキリするのか、ということを私なりに考えてみた結果
日本語では大事なことを後出しする傾向があるが、英語ではまず先に大事なことを説明する傾向にある
↓
だから、英語の主語を最後にもってきて日本語を作ると説得力がある
というところから来るような気がします(あくまでも気です。言語学者ではないのでこの辺は一訳者としての感覚にすぎません)。
また、日本語では修飾語・修飾節をなるべく被修飾語・被修飾節の近くに置く、ことが求められます。これはあまり頭でっかちな主語が好まれない英語を日本語にした時に、そのままの語順で日本語に翻訳すると
〇は、△△△△△△△△△△△△△△△△なXXである。
というような形で、真ん中の修飾語が長くなることを意味します。でもこうすると、主語と述語をなるべく近く置きたい日本語では違和感がありませんか?
写経には若干時間がかかりますが、普段自分の翻訳の癖を見直し、違和感のない、伝わりやすい日本語を書くうえで大変有意義な方法だと思います。このほかにも写経を通じて気がついたことがありますので、それはまた次回に。
2020年2月12日